片手取り、両手取り、諸手取り、交差取り、等の掴み技がありますが、これらの掴み技の受け身の取り方についてお話しさせてください。
間違った受け身が合気道を下手にする
非常に良く見る受け身の取り方が、
- 相手がちょっと動くとすぐ力を抜いてしまう
- どんな技来るか分かっているから、先回りして受け身を取る
- 全く効いてないのに自分から受け身を取る
- 痛い思いや辛い思いをしたくないから逃げるように受け身を取る
しかし、こういう受け身の取り方は、取りと受けの双方の稽古の為に良いことは一つもありません。
受け身は「掴んで倒れる動作」ではない
また、受け身とはただ単に相手の体や道着を掴んだ状態で、受け身の動作をするのが受け身だと思っていたじきがありましたが、勘違いでした。
軽い運動をしたい、汗をかきたい人には良い運動になるかもしれませんが、合気道が上達したい人にとっては、上達を止めます。
取りの技の上達を妨げる受け身とは
なぜ上達を止めるかというと、理由があります。
崩されるから倒れる、それ以外は演技
先ほどお伝えしたような
- 取りの動きの技の読みして動く
- 取りが技をかけるより一瞬先に受け身を取る
- 弱い力ですぐに倒れたり、よろける
- 力を抜いて技を受ける
- 手の力を抜いて取りを掴む
受けがこういう受け身を取ると、技をかけている取りが手ごたえを全く感じないからです。
抵抗があればあるほど、間違えたときは技がかかりにくくなりますし、抵抗がなければ技はかかりやすくなります。
しかし常に抵抗がないなら間違えていても正解だと勘違いしてしまうのです。
これが合気道の道場でしか技がかからない答えです。
一般の人にちょっとやってみてよと言われて、いざかけようとすると、ちょっと我慢されたら上手く掛からない。
普段の道場の稽古では上手く掛かるのに、なぜかからないのだろう、おかしいとなるのです。
手ごたえを感じないという事は、技の力加減や、崩しの方向、足さばき、手さばき、体裁きがあっているか間違えているのか判別がつかないのです。
このような理由で、力を抜いた受け身は取りにも受けにも良いことは一つもないのです。
間違えた受け身の取り方
見た目が派手な受け身
ちなみにいつの頃からか、流行りだしたあの畳を派手にたたいて大きな音を出す手ばたきは、受け身を勘違いした人たちの間違えた受け身、悪習です。
あのはでな受け身をアスファルトの道路やコンクリートの上でやったら手のひらを一発で骨折します。
空手や剣道を稽古する板の間までも、一回でもあんなに強く板の間を叩こうものなら、一撃で手のひらが真っ赤に腫れ上がってしまいます。
昨今スプリングの入った、やわらかい畳くらいでしか、あんな雑な受け身は取れません。
演武どころか演舞と言っても踊りの方に失礼なので、演技用の見世物です。
それを本部道場の門下や、そこらじゅうで当たり前のようにやっているので、何と言ったらよいのか言葉が出ません。
あの使えない、受け身を見た白帯の方が、真似するという悪循環もとまりません。
技の掛かり始めから終わりまで決まった受け身
技をかけ始められてから、終わるまでの受け身を丁寧に教える方もいますけど、練合の稽古を知らないのでしょう。
一から十まで受け身を教えようとするのは、自ら技に掛かりに行く受け身です。
相手の技を自然と殺してしまうような気の抜けた受け身は、教えてもいいことはありません。
初めの方にお伝えしたように、受けと取りのどちらのためにもならないからです。
受け身の上手い人がやっていること
受けが取りを掴む力について
まず受けが取りを掴む力は全力でとまでいかなくともしっかり力を入れて握ります。
意外かもしれませんが、じつは技を掛ける時にしっかりつかまれた方が、技を掛けるのが簡単だからです。
もちろん受けの受け身の取り方にもよります。
当たり前の事も含まれますが、受けが受け身を取るときの基本は
- しっかり全力で掴む
- 引っ張ったり押したり意地悪をせず、自然体で受ける
- 崩された分だけ動く、余計な動作はしない
- 受け自ら、取りより先回りして動かない
- 崩れない方向に崩されると時は、自分から倒れない
ことが受け身を取れる人たちがやってる基本。
さらに受け身が上手い人がしていること
動きが小さくなる
受け身の質を理解しているので、派手な受け身や、無駄な飛び受け身をしなくなります。
音が小さくなる
さらには音を立てなくなります。
畳に背中を付けない
背中が付く前に足の裏で支えるので、背中をつく頃には完全に投げられた勢いを殺してしまいます。
こんな感じで動きも音も全てが変わるので、合気道独特の派手な受け身は、本当に受け身が分かってて、できる人はしません。
ちなみに私の受け身の腕前は、大きな怪我をしない程度でしかありません。
上手な受け身は、技の上達を助ける
全力でしっかり取りの手首を握り受け身を取ると、取りに受けの重心や力の方向がしっかり伝わります。
全力で掴んであげる意味は、受けの崩れ方や重心が、取りにしっかり伝わるためという事です。
受け身とは取りの力や力量がどれぐらいか感じて、ギリギリ相手が技を出来るかできないかくらいの 抵抗をかけたりだとか、ちょっと耐えるという事をするのです。
決して意地悪な動きや相手の技をつぶす為ではありません。
こうやって相手の力量を体で感じたり考えて、受け身を取ると、取りが自分で間違った動きをした時に気が付けるのです。
崩れない方や、逆に安定する方に崩されたときは、そのまま相手に任せて、じっとしていると相手も抵抗感を感じて 、こっちじゃないなってわかります。
この力の方向だと崩れてくれない、 倒れてくれないだとか、逆の方向にすると崩れやすいとか、技の上達に繋がるヒントをつかみやすくなるのです。
それがもし受け身を取る方が何にも力も入れない、なすがままや、わざと倒れたり、先回りするような受け身を取ると、どうなるかというと、手ごたえが一切なく、力の強さ、相手や自分の重心、崩す方向、関節の決まり方、姿勢、全てが感じ取れなくなるのです。
まあ例えるなら変だけどのれんに腕押しみたいな状態。
クニャンクニャンとして柳みたいな 状態だったら何にも手応えがないし、 何が合ってるか間違ってるかも分かりません。
逆に言うとしっかり握っていても、まともな方向に崩されると勝手に崩されて受け身を取らざるを得なくなります。
白帯の人はできなくても仕方ないですが、黒帯の人でも知らずに腑抜けた受け身を取る人が沢山います。
- 相手のことも考えない。
- ただ自分の受け身が終わる順番を受け身を取ながら待つだけ。
- 気の抜けた受け身では合気道の独特の稽古の練り合いも生まれない。
練り合いを生む受け身の考察
練り合いっていうのはやっぱり違ったら違うで動かないわけじゃないけど、 自然体にしてたら動かないからこっちじゃないよっていうの取りも理解する。
で、技が上手くいったら、受けも察知して上手く受け身を取ることが練り合いという意見です。
もうちょっと上の話もありますが、基本なこんな感じではないでしょうか。
だから受け身を取る方は相手のことを考えて、どうしたら相手が良い稽古ができるか、良い気づきができるか、 そういうものを言葉じゃなくて受け身で表現してあげる、受け身で伝える。
もちろん変に我慢したり、相手の力量を見誤り、相手が困ってしまうような受け身を取ることはしてはいけません。
稽古がつまらなくなるような受け身じゃなくて、あっこっちか、気づきを得るような受け身を取ってあげられたらいいんじゃないかなと。
そのためには、 相手がどう動きたいのか、自分はどっちの方向だったら自然と崩されるのか、または崩されない方向を理解して受け身を取る必要があります。
受けと取りの状態を把握することによって、今度は自分が技をやる時に、さっきの人はこっちにやったら上手に崩してくれたから、この方向で崩してみようと、自分の技に工夫が生まれます。
さっきは、崩された方向は、間違えてたからこっちじゃないんだな というのも技を受けながら、自分の技をやる時の答えにもなるのです。
だから、ただ単に気を抜いたような、何の力も入れない受け身は受け身の意味がないのです。
自分が受け身をとる技をかけられるときついからとか、 嫌な思いしたくない、つらい思いしたくないからとにかくやられてしまおうなんて言うのは受け身ではありません。
何も考えずに、受け身を取り自分が技を受ける番を待つのではなく、相手のことも考えて稽古すると自分の稽古にもなるよということです。
受け身ってのは、後ろ受け身、前受け身、横受け身だけで十分。
あとは技を受けならがら体で覚えればいいのです。
こういう受け身を意識してみたら、もっとうまくなるんじゃないかなと思います。
と、いつも手を抜くな、すぐ楽しようとすんなと、自分に言ってます。