合気道の技がうまくかからないのは、技の練習が足りないからだと思っていませんか?

稽古を続けるうちに、「これじゃないな」と思う場面が何度もありました。

そこで気づいたのが、「技の前に整えるものがある」ということです。

不思議な術?技である合気。

合気習得の最初の一歩は、「半身(はんみ)」を覚えることからすべてが始まりました。

半身で重心と軸を知り、脱力に気づく

半身を体得すると、自分の重心や軸の感覚が少しずつ分かってくるからです。

そうすると、人間には力の出し方が2種類あるんだということも発見できました。

たとえば、自分が力を出そうとする時に、「あれ、自分、力んでるのかな?」って気づくようになるのです。

力を出す時の「力み」は、実は無意識に自分自身にブレーキをかけてしまっている状態です。

だから、どれだけ頑張っても相手に力がうまく伝わらないので、相手は崩れない。

つまり、「相手を崩しせない」というのは、力の伝え方に問題があると気が付いたのです。

そこに気づけると、「どうやったら力まずに、力を出すことができるか」という方向に意識が向くようになりました。

そして、力まない状態を追求していくと、不思議なことに相手にどんどん力が伝わりやすくなる。

すると今度は、相手が反射しなくなる。

技をかける前に「力をかけない」体をつくる

相手の反射が起きないちいうことは、つまり反応できない状態ということだから、相手は抵抗すらできなくなる。
そうなると、崩すのが一気に楽になる。

「どうしたらいいんだろうなあ…」って考えた時、実はそこに、本当の基礎の基礎があるんだと思います。

まずは「半身」を覚えること。

そして、力がうまくかからない状態――つまり、相手に反射が起きない状態をつくること。

でも次にまた、「じゃあその次はどうしたらいい?」って悩みが出てくるのです。

おそらく多くの人は、最初は「手」から入ってくると思う。

でも、それは小手先という言葉がありますが、手だけの力に頼ってる状態なんですよね。

でも人間は体重もあるし、相手も重たいので、そんな魔法みたいに手だけで崩せるわけがないのです。

「手」ではなく「体と足」で崩す力を伝える

手よりももっと効率的に使えるのは何か?

もっと筋肉が多くて、沢山力を出せるところはどこか考えると、体と足しかないのです。

格闘技でよく言われるように、ストレートのパンチを打つとき「足の力を拳に伝える」という話があるのは有名です。

足で踏ん張った力や、地面から生まれた反作用(抵抗)を利用して、それを拳に伝えることでパンチに威力が出るわけです。

それに加えて、体の軸がしっかりしているかどうかも、力を伝える上でとても重要だと言われます。

だから僕も、「ああ、もっと手じゃない部分の精度を高めていかないといけないな」と思うようになりました。

居着きとは何か?合気を阻む止まりの正体

基本の戻りますが、「力み」っていうのがあると、やっぱり手の状態も良くない。

当然、足の動きも悪くなるし、全体のつながりが崩れてくる。

気が付くまでは居着く=心や体が止まって固まっている状態で動いているだけの稽古だったのです。

「あ、そっか。居着いたらダメってこういうことなんだ」って気づいた時がありました。

そうやって稽古しているうちに、「あれ、これって武道でよく言われる居着き」は、この感覚ではと気が付くのです。

要は、静止してても動いてても、心身のどこかが止まってしまう=居着きになってしまう。

居着かないというのは、止まらない・滞らない・流れるような感覚を保ち続けることなんだと。

だからまず、「居着かないで構えてみよう」と試してみた。

「居着かないで立つ」ということを意識する。

居着かずに立てるようになったら居着かないで構える稽古をしたのです。

すると次は、止まった状態からでも「流れている感じ」が出ているのに気が付けて、分かるようになりました。

合気道はあたりまえですが動いて行う武道のため、動作の中で居着いていたら、技は当然うまくかからないと理解するのです。

だから次は、「居着かないで動く」ということを意識して練習するようになりました。

浮き身」が現れた時、技は始まっている

そして「この居着かないで動く感覚って何だろう?」と突き詰めて考えていくと、「ああ、これが浮き身なんじゃないか」って思えてくるんです。

そしてその感覚をどんどん研ぎ澄ませていくと、どうやら**自分が浮き身の状態になった時、相手もその感覚を“捉える”**ようになるのです。
あれ?って思うような瞬間が訪れるのです。

そうなると、以前は身体操作で「接触してから何かを仕掛けていた」段階から、今では「触れる前にもう勝負が決まっているような状態」が起きる。

そんな不思議なことが、実際に起こるのです。

じゃあこの「浮き身」とは何なんだろう?と、さらに深く調べていくと、感覚がどんどん薄く、軽く、透明になっていく感覚があるのです。

その頃には、もう自然に、両手の合気上げ、合気下げなども、だんだんできるようになってきているのです。

相手の体格が大きいとか小さいとか、そういう違いがあっても、明らかに以前よりもずっと楽に技がかかるようになります。

フィジカルや、タイミング、スピードでごまかさなくても、相手が勝手に崩れていくようになります。

そうやって気づくのは、結局「技の練習そのもの」じゃなくて、自分自身の意識や体の使い方を深めていくことが、結果として技に生きるということでした。

技を学ぶより「技が出る自分」を育てる

だから結局、「技掛けよう、技が上手くなろう、技に行こう」とするんじゃないんです。

まずはその前段階で、合気道を使いこなせる自分になることが大事なんです。

これが質の良しあしはあれど合気というものではという考えです。

そこを飛ばして、段階を無視して、「はい、技に行きましょう」って言っても、土台ができていなければ、技はかかるわけがないというのは後になってからわかりました。

初心のうちではわかるはずもないのです。

武道の形骸化を超えて、本質に向かう

武道は見よう見まねで形だけを真似して、「はい、これで武道やってます」ってことにするのは簡単です。

何年通って段を取りました、決められた年数を通えば得られる段位、そこに本当の価値はありません。

だから実際には、中身がまったく伴っていないケースが山ほどある。

いわゆる形骸化です。

形ばかりで、内側がない、見た目だけの武道になってしまっている。

だからこそ思うのです。

武道とは「自分を磨くもの」であり、形や技の習得は、そのためのひとつの手段にすぎない。

本当に大切なのは、稽古を通じて自分の意識や身体の使い方、あり方そのものを磨いていくこと。

技を追いかける前に、まず自分を整えるのが大事だと。

それができてこそ、技も自然と育っていく、現時点で私が理解できていることです。

相変わらず自分でも思いますが、生意気ですね。

合気習得の段階

1. 技術の前に「状態」がある

「力まずに力を出す」「居着かない」「浮き身」

→ 大前提として筋力、スピード、タイミングに頼らない武道的な技が成立するには、まず技が生まれる身体と意識の状態が必要。

技を覚えようとする前に、「半身」や「脱力」「重心」「居着き」「浮き身」などの身体感覚と意識の在り方を身につけるべき。

→ これがなければ、どれだけ形を学んでも技が効かない。

2. 形だけをなぞると「形骸化」になる

「形稽古=学びの入り口」であって「終点ではない」

→ 形を真似るだけでは、合気は生まれない。

→ 境外化とは、「中身のない稽古」「意味の抜けた形」

武道の境外化を避ける(形だけ真似しない)

それをすっ飛ばして「技だけを覚えよう」とすると、合気道が効かない・うまくならない。

3技は「磨かれた自分」から自然に出るもの

「型を覚えよう」とする前に、まずは合気道ができる身体と意識をつくることが大切です。

技を探すのではなく、自分を磨く。その積み重ねの中で、“技”という現象は自然に起こるものです。

つまり、技は磨かれた自分から結果として生まれる。

合気道の本質とは、型や技の手順をなぞること(形稽古)ではなく、自分自身の在り方を整えていく過程そのものです。

そして、武道とは本来、自己修養の道であり、技はその副産物にすぎないのだと思います。