
合気道の達人になれないのはなぜか
合気道を長年稽古していても、養神館の塩田剛三先生や、合気会の山口清吾先生、遠藤征四郎先生のような不思議な技を使えるようにならない理由を考えました。
理由は単純で、同じ質の稽古しかしていないからです。
合気道の稽古の時間、場所によっては一時間半だったり、二時間の道場があります。
その中で、皆さんは日ごろからどんな稽古をしていますか?
基本的にどこでも共通している稽古の内容は、各道場の先生が教えてくれる合気道の技です。
技は覚えても「合気」は身につかない理由
ここに無心で合気道を稽古している人が気付けない、ただ合気道の稽古をしていても合気の達人になれない罠があります。
なぜかというと、実はどこでもやっている普段の合気道の練習で上手くなれるのは、合気道の技の型だけだからです。
合気道の技を何年か稽古すれば、不器用な人でない限り、一通り技を覚えられて、自由技なども難なくできるようになれます。
でも、現実的な話として合気道の型が出来ても、合気道の達人になれないのは、皆さんが通われている道場の先輩方をみれば答えが出ています。
合気道の稽古には致命的な落とし穴がある
つまり、合気道の稽古の時間は合気道の技の種類や形を覚える時間であって、特殊なことが出来るようになる稽古や練習の時間ではないのかなと。
合気道を10年以上稽古されている徐先輩方でも、合気道の不思議な力を使いこなせている人は皆無に近いのが私の体験です。
もし自動的に合気道の技の中に合気道の達人になるためのエッセンスが含まれていたら、合気道を稽古していれば、誰でも合気道の達人になれるているはずです。
でも、残念ながら先生以外で何十年と稽古されている先輩方で、達人と呼ばれるような技が出来る人は見たことがありません。
つまり合気道の達人になるためのエッセンスが、通常の合気道の稽古には含まれていないために、ただ合気道の稽古をしていても合気道の達人にはなれない、もしくはなれる確率は恐ろしく低いという事かもしれません。
自分の経験でも、いくら見た目の技の形や、手の位置や足の位置を変えても、力の方向や相手の力の入りにくい方向に変化させているだけの小手先のごまかし程度しか変化は起きてくれません。
合気道の上達に必要な「身体操作」とは
合気道の達人になるには、普通の稽古で無理なら、合気道の技や型を通して、自分で試行錯誤しながら、身体や力の使い方を変えていく必要があるという事です。
つまり自分で合気道の稽古の質を高め達人になるプロセスやエッセンスを自分で見つける必要があるということ。
道場だけでは足りない|自分で稽古の質を高める
合気道の達人のような技の真似事が出来るようになるには、まず昨今では身体操作、脱力、抜きと言われる、普段の身体使いとは別の、力の出し方、使い方を会得する必要がありました。
昔から言われる言い方では柔(柔)、腰回し、合気、浮き身、遠山の目付と言う呼び方もされます。
こういう一つ一つの意識や身体使いを会得して、初めて合気道の達人の技(相手を無力化など)が出来るようになると考えています。
つまり、合気道の技の稽古とは別で、特別な力の出し方や使い方を会得をする必要があると。
合気道の達人になるために本当に必要なこと
もし、体格差や筋力でかなわない相手を制したり、合気道特融ともいえる不思議なことが出来るようになりたいなら、そういう不思議なことが出来るようになる為の練習をしないと、一生涯合気は使えるようにならないと言う事です。
なぜ、限られた人だけが不思議なことが出来るようになるのか、それは長年各々が試行錯誤しているからです。
ただ単に教えられた技をずっと延々としているような単調作のような稽古はしてないはずです。
ちょっと変わったことが出来ない人は、稽古の時間だけ一生懸命やって、体の使い方を変える稽古は一切しないので、いつまでたっても技の質は変わらない。
それに気が付いて自分の身体の使い方を変えたり、力の出し方、伝え方を変える稽古をすれば合気や、達人のようなことが出来るようになるのでしょう。
上手くなりたいなら稽古が終わった後に、道場の仲間を見つけて、いろいろ試してい見るのも良いかもしれません。