合気道を続けていて、
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- 稽古しているのに、技が効くようにならない
- 何年も通っているのに、上達している実感がない
- 合気道の達人のような技が、一向にできるようにならない
合気道が上達しない原因は「稽古の質」にある
合気道が上達できないのはセンスの問題ではなく、ほとんどの場合は稽古のやり方に原因があります。
上達しないのは、「稽古の段階」「稽古のやり方」「考え方」を知らないのが一番の問題点です。
まず合気道が上達しない原因を明確にするために、合気道の稽古法から、振り返ってみます。
合気道の稽古は、最初に技の「形」や「受け身」が基本で覚えます。
「合気道ってこういう動きをするんだな」と、全体の雰囲気はなんとなく理解します。
そして数をこなし技の形や動きをひと通り覚えます。
稽古を続けると技を一通り覚えて、自由技など一通り形だけはできるようになります。
このくらいになると初段になれているはずです。
問題はここから先の話です。
形だけ覚えても上達しない理由とは
ここでほとんどの方の合気道が上達しないという結果が待っています。
ただの優しい稽古(昨今では優しい稽古を柔らかい稽古と勘違いされている)を何となくで続けていたら、一見するとスムーズに動けているように見えるかもしれません。
でも、力み・ぶつかり・間合いのつまりなど、本来固い稽古で学ぶべる部分に気がつける機会を失ってしまいます。
柔らかい稽古、もとい優しい稽古では、なぜできているのか・できていないのかが曖昧になります。
その結果、技の形だけは覚えるけれど、中身が空っぽなまま、同じところを々巡りするような稽古を繰り返してしまいます。
合気道が上達できないのは、このような稽古の質がかわらないというのが、主な原因です。
また、柔らかい稽古だけ行っていては、きつい稽古を嫌うようになり、基礎体力も精神力も身につきません。
ではどうしたら合気道が上達するかというと、初段からはしっかり掴まれたり打たれて技をかける、かたい稽古に変えるのです。
合気道には「硬い稽古」と「柔らかい稽古」がある理由と、本当はどちらも稽古をする必要性あるのです。
固い稽古のメリット
かたい稽古では、技がうまくかかりません。
そのぶん、「どこがズレているのか」「どこでぶつかっているのか」を体で学べます。
(もし上手く技が掛かっているという方は、忖度されていることに気が付いていないだけ、ただの勘違いの可能性大)
つまり、力のぶつかり合いや、上手く崩せない実感、手ごたえがあるから、修正できるのです。
そして力任せの技では効かないことを悟ります。
技を手でかけようとする人は多いですが、本当に大事なのは「姿勢」「軸」「体重移動」。
間合い、接点にこだわらないなど、複数の理合があります。
しかし、武術の理合いを見落として、手元ばかり気にしていては、合気道は上達できません。
手先だけにこだわると、体は育たない|身体操作の重要性を知ることが大切です。
身体操作や、さらに進んだ段階として意識の使い方を会得する段階があります。
でも、教える先生がいない、または自分でも次の段階の稽古を知らなければ、結局、同じことの繰り返しになり上達はしなくなります。
知らないし、教わらなければ、後は自分でひらめくしかありませんが、そんな天才はまずいません。
合気道が上達しないのを避けるには、身体操作などを理解・会得して、徐々に無駄な力を使わない柔らかい稽古に変えていく必要があります。
稽古時間が少ないと、合気道は上達しない
合気道がなかなか上達しない理由として、単純に稽古時間が足りていない」というケースです。
ここで大事なのは、「稽古時間を増やせばいい」という話ではありません。
問題は、「稽古時間が少ない」だけでなく「稽古の外で何もしていない」ことです。
道場の稽古だけで上手くなると勘違いしているのです。
合気道は、道場での稽古をやって上達できるほど簡単ではありません。
週二回、三回の数時間の稽古で、誰もが上達できるなら、みんなが合気道の達人になれてしまいます。
週に1~2回のだけで上達できるはずがありません。
稽古が終わったらそのまま帰って、次の週まで何もしない。
動画も見ない、本も読まない、体のことも意識しない。
道場ではヒントを得たら、一人で稽古をして感覚を体に沁み込ませるのです。
本当に技が身についてくるのは、稽古の後に「考えて、試して、悩んで」いる時間です。
例えば、今日はなぜ技がかからなかったのか?
どこでぶつかってしまったのか?
どこが自分の癖なのか?
そういった自分との対話の時間が、技術を深め、身体に落とし込むのが一番の合気道上達の近道です。
本当に上達している人は、稽古していない時間に工夫している
上達していく人は、稽古以外の時間に工夫しています。
- ちょっとした体の使い方を日常の動きで試してみる
- 稽古中に言われたことを、自宅で反芻して動いてみる
- 動画や文献で、他の流派の動きも見てヒントを得る
- 道場でやってる技を違う角度から理解しようとする
こういうことを「遊び」としてやってる人は、あっという間に技が変わっていきます。
逆に、「道場の稽古だけで何とかしよう」としている人は、何年間やっても、初めの1年と大して変わらないということが普通に起きています。
稽古以外の時間こそ、自分で掴みにいく時間
合気道は、受け身の学びでは伸びません。
先生から「答えをもらう」のではなく、先生の言葉からヒントを拾って、自分の中で掘っていく作業が必要です。
だからこそ、稽古以外の時間が「本当の稽古」だと経験から感じます。
稽古時間が短いなら、せめてその分、考える時間を作る。
考えることが苦手なら、動画でもメモでもいいから「自分の動き」に目を向ける。
行動と思考の繰り返しが、合気道の上達には欠かせません。
合気道の上達には、先生との出会いも大切
個人的に、合気道が上達しない理由を、環境や他人のせいにするのは、他力本願でみっともないので、好きではありません。
しかし、実体験からも先生との出会いが上達を左右するのは間違いない事実です。
合気道には、理合や体の使い方、意識の使い方が根幹にあり、これらを実際に体現している先生に出会わないと、体感もできないし理解も深まらないからです。
・技や型しか教えられない先生
・体の使い方まで教えられる先生
・意識の使い方まで教えられる先生
どの段階まで、実際に見せてくれますか?
あなたの先生はどの段階まで教えてくれますか?
この違いはとても大きいです。
自分を導いてくれる先生と出会えるかどうか。
合気道の上達には欠かせない要素です。
教わる先生が一人だけ|幅のある学びを得られない理由
素晴らしい先生が複数にいても、言葉で表現した時の伝え方が変わります。
とくに、「体の使い方」「意識の扱い方」に関しては、教えられる先生と、教えられない先生の差がとても大きいです。
技を見せるだけで、技と教えない先生もいました。
自分が長年かけて培った核心やコツを後世に残そうと真摯に教える先生もいました。
このように一人の先生に教わり続ける事で、合気道上達の可能性を狭めてしまうこともあるのです。
同じ流派でも、別々の先生に習うと、表現の仕方や教え方が違うので、違う目線で考えられるので、理解が深められるという利点があります。
複数の先生に師事するのは合気道上達に非常に有効です。
そもそも、本部道場で稽古してる際は曜日ごとに先生が変わるので、もともと色んな先生に教わってそれぞれのエッセンスを吸収していだ時代もあります。
いまでは弟子が勝手に先生は1人と決めて、自らの成長を狭めている印象を受けます。
昔の武道家は、柔道や剣道など別の武道経験を経て、合気道にたどり着いた人が多かった。
だからこそ、体の使い方も、意識の扱い方も自然に備わっていたのかもしれません。
でも今は、合気道しか知らないままスタートする人がほとんどです。
だからこそ、自分で学びに出る姿勢が必要なのではないのでしょうか。
別の流派でも、本物なら合気道に通じるコツを吸収できます。
体や意識の使い方を深く知っている先生がいたら、自分から習いに行くのが大切です。
そこで得たものを、自分の稽古に持ち帰って試行錯誤することが大切かもしれません。
技を取りに行く
また先生の視点からすると、教えたとしても、技を受け取れる人と受け取れない人がいるという事をおっしゃった方もいます。
今の時代、上達のための情報はあふれています。
動画を見れば、技の説明もある。
AIに聞けば答えてくれる。
でも、それでも上達できない人が多い。
それはなぜか?
結局のところ、本質を捉える理解を示したり、行動しないからです。
- 「道場の中だけ」で考えて、あとは稽古しない、
- 外の世界を知ろうと出ない
- 自分の先生だけが全てだと思い込んでいる
- もっと学べる場所があるのに、自分からは動かない
というのが当たり前になってしまっているのかもしれません。
ただたんに、そこまでして合気道が上手くなりたいと思っていない現れでしょうか。
「学ぶ姿勢」と「動く力」がない限り、どれだけ情報があっても、本質にはたどり着けず、合気道が上達しないのかもしれません。
本質を聞き流す人は、何年やっても上達しない|姿勢の問題
同じ事、同じ先生に習っても技を盗める人と、盗めない人がいます。
どれだけ良いことを言われても、それを「へぇ~」で流してしまえば成長にはつながりません。
逆に、「この言葉の裏には何があるんだろう?」と掘り下げられる人は、たとえ初心者でも早く上達できます。
上達する人としない人の差は、意識の向け方の違いです。
上達できないのは、行動していない自分の結果かもしれません。
私は数十年かけて、学んだことがあります。
自分のやり方、こだわり、技を全て捨てて、先生が伝えたいことは何だろうとそれだけを真剣に理解しようと努めました。
その結果、先生の教えの理解が深まり、自分の殻を破れて、技も劇的に変わりました。
教えてもらうとは、習うとはこういうことを言うのだろうと、理解できたことがあります。
合気道が上達するかどうかは、最終的に自分の意識と行動が返ってくるだけだと、自分の経験を通じて痛感します。
以上、私の失敗談でした!