合気道の上達には2つの方向があります

合気道の上達には、2つの方向があると考えています。

1 時間経過で上達する技の習得

いろいろな技を覚えたり、動きがスムーズになったり、自由技で止まらずに連続で技を出せるようになるといったものです。

型が綺麗になって、演武などでも見栄えが良くなれます。

これは、道場で稽古を重ねていけば、時間の経過とともに自然と身につくものです。

誰でもある程度までは上達できますし、見た目にも「上手い」と思われるようになります。

道場で上手いと評価されることもありますし、演武でよく見る上達の形かもしれません。

条件付きでしかかからない技の限界

しかし、稽古をして時間経過とともにできるようになった技の特徴は、体格が自分より小さい相手や、タイミングやスピードに依存しないとかけることができませんでした。

つまり、条件が揃えばかかりますが、そうでなければ全く効かないという技の性質と弱点があります。

つまり時間を割いただけで得た技は、見た目は派手で立派に見えても実際には使えないのです。

正確には「使えない」というより「かからない」と言ったほうが適切かもしれません。

相手が本気で抵抗してきたり、少し体格が違っただけで、かからなくなってしまうような技で限界が来ます。

つまり実践では通用しません。

昔の言葉で道場拳法です。

2 質を上げて起きる上達

もう一つの上達は、質を高めるという方向があります。

質を高めるとは、合気道の稽古を通じて、意識の使い方・体の使い方を変えていくということです。

体や意識の使い方を変えるということ

たとえば、質を上げるのに必要なことは、力の出し方、姿勢や重心の意味を理解し、習得するということを心がけました。

体の使い方を変えるというのは、普段行っている力の出し方をやめて違う力の出し方や・使い方を覚えていくということです。

力まないことや、脱力することだったりします。

この脱力も一般的に言われるような、ただ単に肩の力を抜いてだらんとすることとは全く別の体の使い方を必要とします。

姿勢も一般的に言われるような良い姿勢とは別で、人間が武術的な体の使い方を求める時に行う姿勢があります。

(気を付けの姿勢は戦争時代に日本がドイツから教わった姿勢であり、本来人がする良い姿勢ではありません)

重心の位置も、普段普通に暮らしていて、バランスをとっている重心とは、別の位置を理解する必要がありました。

体だけではなく、意識の使い方も必要になります。

意識は対立しないようにする、相手とぶつからない、相手に固執しない、そういった意識の持ち方も含まれます。

このように、体の使い方や意識の使い方の「質」を上げていくことが、新しい術を覚えていくということにつながりました。

そうすることで、合気道は上達していくのだと経験から感じます。

合気道を通して得られる本当の力とは

合気道を通じて体や意識の使い方が変えていくのです。

実際に私の経験では自分より大きい体格の人に技がかかるようになったの、現在の稽古の方向性は、間違えてはいないのかなという見解です。

自分の意識や体を高めていくことによって、その結果、体力や速さ、タイミング、体格に頼らない合気道を会得するということが稽古の目的になっています。

技をかけるためではなく、かけられる体になる

つまり、そうすることで最終的には柔よく剛を制するといった技がかかるようになり、勝てる強い合気道になるという考えです。

その先には争いのない和合、合気という不思議な次元に近づいていくことになるのではないでしょうか。

つまり最初にお伝えした時間経過で起きる上達は技をかける事が目的となり、その稽古で得られる結果です。

二つ目の質を上げて起きる上達が、本来皆さんが抱くような合気道のイメージや、合気道の達人に近づく稽古ではないでしょうか。

私は二つ目の、合気道の稽古を通して、体使い意識使いを変えていくのが本当の稽古なのではと思って稽古をしています。

技の型が一通りできるようになると、慣れが生じてくマンネリ化するので、質を上げる稽古の方が上手くなっている気がして楽しいです。