これは自分が長年気が付いていなかった盲点と反省です。
なので、偉そうなことを言ってますが、自分もやってた身分なので、シェアさせてください。
これをやらなくなると、合気道の腕前が上がるので是非お勧めです。
合気道の手はセンサーや電線にすぎない
私の経験上では、合気道における手の役割は足腰から生まれた力を伝える電線の役割でしかないのです。
手は足腰で沸かした力を相手に伝えるだけなのです。
それをいつまでも、腕の角度や方向などに気を取られていては、ほかの部位を使うことがおろそかになります。
私も合気道を始めたてのころどころではなく、10年以上も手を意識してきた時代がありました。
手の切り下す動作がどうとか、方向がどうとか、手首を張る感覚がどうとかもありました。
今となっては小手先に時間を費やすより、もっと有益なことがあるのを知らなかっただけだと理解ができます。
本来は自分の体や意識に目を向けて合気道の稽古を通じて、自己鍛錬をするはずが、自分の手に邪魔されていたといっても過言ではありません。
手元を見るクセが上達を妨げる理由
合気を稽古していて、手を見る癖がある人に伝えたいことがあります。
四方投げや小手返し、住み落としをするとき、手元を見てて上達しました?
もうそろそろ、手元を見ても意味がないことに気が付いてもいいころではないのかと。
なんて生意気な事を言いいましたが、実際には自分に言い聞かせた言葉です。
同じこと続けて意味あるの?他に目を向けた方がもっと効率よく上手くなれるんじゃないの?って自問自答しました。
これがわかっていないと、ずっと自分の手元だけを見て、角度や方向を気にして、技が止まってばかりです。
ほかには手元を見ると目線が下がり、下を向くので猫背になり、姿勢が崩れます。
姿勢が崩れるということは、重心も乱れて、自分の体重がや力が相手に伝わらないので、相手は崩れないし、技もかかりません。
手元を見ても本当になに一つ良いことはないのです。
そもそもやってみるとわかるのですが、方手取りなら相手は手首を取りに来るからいちいち見る必要ないのです。
手を見るという事は目線が手もとにいくコンマ何秒の間ができてしまうのでよくないのです。
手元を見ない利点もあって、自分の目線や重心や相手の崩れ方に意識が向きます。
そうすると、新しい発見が沢山あるので、課題が見つかり、合気道の技が変化します。
手に意識を向ける時期はもう卒業しよう
手に関しては、手元を見る悪癖だけではありません。
手を見ずとも意識している人は、手に意識を変えるのは卒業したほうがいいです。
いろんな理由があります。
合気道は魔法ではないので、手の筋肉だけで相手を崩したり投げるのは無理があります。
つまり、手でできることは限られているので、手に固執するより、ほかの部分の使い方を伸ばしたほうが良いという事です。
自分の経験では体や足の筋肉のほうが大きいですから、体や腰などを効率よく使ったほうが合気道は上手くなりました。
実際に技をかけられて体感できなくても、昨今いくらでも動画で見て簡単に理解できるはずです。
合気道は小手先で技をかけると教えられたことはないはずです。
なれ合いの稽古だから、皆受け身をとってくれますが、現実は肩から先の筋肉や動作で、自分より大きな人どころか、小さい人もろくに崩せません。
この先も何年も稽古を続けた先に、ろくに技を掛けられませんなんて言う未来は見たくありません。
御免です。
手の本来の役割と鍛え方を知る
技を掛けたり相手を崩すときには、手先だけではなく、全身を連動させたり、重力を使って技をかけています。
また手の役割は、相手の動きや重心を察知するセンサーの役割があります。
どちらの方向に崩すか、前に出るか下がるか、回旋するか方向指示器の役割です。
その手の感覚に従って、足腰を使って相手を崩したり技を掛けます。
他には相手とつながる役割です。
一教などの抑え技の時にがっちりつかむ人がいますが、私は逆です。
接点は小さいほうが相手も自由が奪われ重心も不安定になり、技が効きます。
指で引っ掛けるように触れたり、手のひらで抑えるだけで掴まない練習をしたほうが効率よく崩せるのです。
しっかり掴むのは無意識にしてしまう手癖の動作なので、身体使いを変える稽古に不要という考えです。
合気道がなかなか上達しないと感じている方は、自分の「手」に意識が偏っていないか、ぜひ一度見直してみるとよいかもしれません。