合気道の稽古、本当に「技の練習」だけでいいの?
崩さないと技がかからないから これがわからない人が合気道やってて本当に多いです。
本来合気道の稽古の目的は、立ち合ってから残身までの過程を全て稽古するのが稽古であって、ただ技を覚えましょうという稽古ではないはずです。
「合気道の稽古=技を覚えること」になってしまってる人が多い中で、本来の稽古の意味は、 構え → 間合い → 崩し → 技 → 残心 という、立ち合ってから最後までの「プロセスすべて」収れんするのが目的のはずです。
とかなんとか一丁前の事を偉そうにいってますが、私も技を練習したがってしまう時があります。
崩せなければ、どんな技もかからない
でも技をいくら知っていても、崩せなきゃ無意味なのです、なぜなら崩しなしの技はかかるわけがないからです。
逆に言えば、崩せれば、どんな技でもかかるということです。
それでもなぜ、合気道で「崩し」が重視されないのかという話になります。
- 「形(技の順序)」を重視する稽古が主流になってる
- 相手が受け身を取ってくれる前提で技が進むから、「崩す必要」がなくなる
- 結果として「崩しを意識する稽古」が存在しない
という事です。
でもわかっているのに技の練習がメインになりがちです。
崩しについては、できればそれぞれの人に、、崩しについて考えを聞いてみたいです。
私の場合は、「いかに相手を不安定な状態にするか」だと思っています。
合気道の「幻想」と現実的な物理のギャップ
合気道の「幻想」と現実の差
そもそも、合気道の達人なら手を動かしただけで崩れるかもしれませんが、普通の人が同じことをしても相手が崩れることはありません。
現実的な話で相手が50キロ、60キロ、70キロの体重だったとしたら、その人に技をかけようと思ったら、いったいどれくらいの力が必要になるでしょうか?
何も崩していない状態であれば、その人の全体重、つまり何十キロという質量に対して、こちらも全身を使って相応の力をかけなければ、技を掛けられません。
そしてもし抵抗されたら、さらに大きな力が必要になります。
普段あなたが稽古している力加減で、本当に相手が投げられてると思いますか?
私は本気で我慢してもらいたがりなので、技の掛からない苦労だけは知っているつもりです。
技をかけるには、相手の重さ=物理的な抵抗を超える必要があります。
60kgの相手をいきなり動かすには60kg分の力が必要ですが、しっかりと崩せば、その負荷は一気に半分以下になります。
でも崩してバランスを失わせせて崩せば崩すほど、技をかけるのに必要な力は、どんどん減らせるのです。
→ 30kg
→ 20kg
→ 最終的には10kgの力で十分に
これが崩しの真の目的です。
つまり、技をかけるためには「崩して、相手の自由や安定を奪う」ことが前提なんです。
それによって、必要な力を最小限にできる。
ゆえに技をかけたいなら、まずは崩し必須の条件、「崩し」の稽古です。
崩しは「倒れてくれる状態を作る」作業で、技をかけるのは最後の仕上げ「倒す」作業と言えます。
「崩し」を避けている人が上達できない理由
良くない例としては、技を途中で止めてしまったり、ただ相手に触れただけで自分だけが動いてしまうパターンです。
そうなると当然、相手はまったく崩れません。
力を使わない合気道が危険な理由
要は、ある程度は「力を使う必要がある」ということです。
慣れないうちは、動きがガチャガチャしてしまうこともありますし、力任せになることもある。
でも、それで構わないんです。むしろ、そのほうがいい。
なぜなら、「力を使ったからこそ」どれだけの力が必要なのか、どんな力のかけ方が良くないのかが体で分かるからです。
逆に、力をまったく使ったことがない場合、どれくらい無理をすれば人が倒れるのか、崩れるのかという「基準」がわかりません。
つまり、常に「必要な力の手前」でしかやっていないと、何が適切でどこからがやりすぎなのか、その境界の経験がないために判断できません。
たとえば、危険なことや試すべきことがあったとして、「ここまでやったらダメだな」というラインを知らずに、いつもその“手前”だけでやっていたら、結局「何が良くて何が悪いのか」が一生分からないままです。
これは例えるなら、ずっと中辛のカレーしか食べたことがない人が「これが辛いカレーです」って言ってるようなものです。
でも実際は「本当に辛いもの」を知らない。
そういう制限された経験のまま技をやっていても、本当のところは見えてこないんです。
【1】やらずに避けてる人は、何が良くて何がダメか判断できない
力を使うのがダメと言われて、最初から避けてしまう
試したことがないから、適度の力加減が一生わからない
【2】つまり全部「やったことがないから分からない」
やってみて、「これはやりすぎだったな」と体感できたら引き算ができる
最初から引き算だけしてたら、何もわからないということにも気が付けないのです。
【3】技も崩しも全部中途半端
- 崩しきれてない
- さばきも中途
- 技も流れが止まる
相手も崩れてないし、自分も動けてないのでは技がかかるわけないという話
崩しとは何か?わかりやすい椅子の例で説明
たとえば崩しを椅子で考えてみると、
4本足の椅子は安定していますが、1本足がなくなって3本になると、バランスが崩れます。
さらに2本になると、左右の動きに弱くなり、前後にも不安定になります。
4本足のままでも、1本で支えたり、2本だけで前後左右に傾けると、たちまち倒れてしまう。
要するに、「技をかける」というのは「相手を動かすこと」なんですが、その動かしやすさは、どれだけ相手のバランスを崩せたかにかかっている。
だからこそ、「崩せば崩すほど、技は少ない力でかかるようになる」ということなんです。
- 技をかけたいなら「相手を崩す」必要がある
- 崩しとは=自分が技をかけられる状態 × 相手が返し技や反撃・防御もできない状態
- 相手が「かかってくれる」のではなく、「かかる状態」にこちらが持っていくのが大事
合気道の技をかけるなら崩しを極める
構えから残心までの一連のプロセス――特に「崩し」は、技の前提としてかなり重要な要素です。
崩せなければ、技はかかりません。
逆に崩しができれば、技は楽に掛かるようになります。
にもかかわらず、現場では「形」だけをなぞる稽古が主流となり、崩しを体感しないまま技だけを繰り返す人が多いのが実情です。
本当に必要なのは、「やってみて、やりすぎて、そこから引き算して学ぶ」ことでないでしょうか?
力を使うことを最初から避けていては、崩しの基準も、技の本質も、何もわからないままです。
だから、まずは「崩し」を中心にしっかり稽古する勇気を持つこと。
技はかけるものではなく、崩れていれば自然に楽にかかるという概念を持って私は稽古をしています。
そして力を使わずに技がかかった瞬間の感覚こそ合気道の醍醐味だと私は思っています。
散々偉そうなことを言っておいて、結局、最後まで技をかける事に拘っている、どうか私をお許しください汗
私も技をかけたがる一人です、お仲間に入れてください、、、