合気道の稽古には順序がある
合気道の「固い稽古」と「柔らかい稽古」についての記事です。
合気道の稽古には「固い稽古」と「柔らかい稽古」があります。
でも、この2つの稽古、間違った順序でやってしまうと、上達どころか合気道の本質から遠ざかってしまうかもしれません。
固い稽古をすすめる理由(実践・経験・信頼・力の加減)
私の経験からすると固い稽古は、体力的にきついですが、よくやっておいた方が、後々非常に良いと思います。
なぜ固い稽古を勧めるかというと、固い稽古では、
- 思いっきり相手を持ったり、しっかりつかんだり、全力で打ちに行ったりします。
- 技をかける側も、ある程度力任せでも構わない。
- 思う存分に技をかけ、受けも全力で受ける。
体力的にはきつくないとは言いませんが、そうした一生懸命のやり取りで覚えられることが沢山あるからです。
固い稽古が失われていく中で、固い稽古で身につくメリットご説明します。
固い稽古で身につく8つの力メリット
足さばき・間合い・力の方向など、ぶつかることで正解が見えてくる
実際に力と力がぶつかる中で、「この距離では間に合わない」「この足さばきでは詰まる」といった具体的な答えが体でわかってくる。
受け身が上手くなる
思い切って投げられる中で、どう身を守るかを体が覚えていく。単なる形だけでなく、反応としての受け身が身につく。
相手の力量を測れるようになる
どのくらいの強さで投げたら危ないか、安全か――そういった“加減”が自然とわかるようになり、相手との呼吸や信頼関係も深まる。
技の限界を知ることができる
柔らかい稽古では気づけない、「このやり方だと技が止まる」「ここまでは効かない」といった限界が、ぶつかることで明確になります。
本当の意味での崩しが体感できる
中途半端な崩しでは崩せない・崩されない事を体で理解できるため、自然と本質的な崩し方が身につきやすくなります。
精神的なプレッシャーに慣れ、強くなれる
本気でつかまれる、打ち込まれるという状況で稽古することで、緊張感の中でも落ち着いて動ける心の土台が育ちます。
受けと取りの信頼が生まれる
お互いが全力でやるからこそ、手加減ではない本当の信頼関係ができる。それが合気道における稽古の土台になります。
自分の力の使い方に気づける
力でねじ伏せようとすると失敗するし、逆に弱すぎても通用しない。その中で、どのような力の出し方・抜き方が有効かを探れる。
おまけ・もめない。自分を助ける
柔らかい稽古というか、優しい稽古しかしたことない人と当たって、普通に技をかけるとかなりの高確率で、不機嫌そうになります。
普通の技を受けたことがないので、きつく感じるからです。
普段から固い稽古に慣れていれば、どこに行っても普通に稽古ができます。
固い稽古を避けると、何が身につかないのか
こういうことが厳しい稽古の中で身についてくると、自然と無駄な力が省かれ、少ない動きで大きく相手を崩せるようになるのです。
昨今の合気道の道場がとなる危険だから、怪我をするからとさける、固い稽古の中に、合気道の大切なメソッドが込められているのです。
逆を言えば、固い稽古から逃げること、目を背けることは、これだけのメリットを取りこぼして、損しているのです。
その先に合気道の不思議な合気などの術を会得できるようになるのです。
固い稽古の後に、やわらかい稽古が待っているという事です。
固い稽古をすすめる理由(実践・経験・信頼・力の加減)
固い稽古では、実際にぶつかり合う中でしか得られないものが身につきます。
足さばきや間合い、力の方向といった技術面だけでなく、
「どれくらいの強さで技をかければいいのか」「相手の力量をどう見極めるか」といった力加減も自然と覚えていく。
また、全力でやり合うからこそ、取りと受けの間に本当の信頼関係が育つんです。
そうした実践的な経験が、合気道の土台になります。
固い稽古をやらずに柔らかい稽古だけやる問題点
稽古にメリハリがなくなり、どれくらい力を入れればいいのか、逆にどこで力を抜かなきゃいけないのかそういう基本的な感覚を、体で覚えていけなくなるんです。
だから、最初から柔らかい稽古ばかりしていると、どうしても軟弱な稽古になってしまう。
最初から柔らかい稽古ばかりしていると、力加減、角度、動き、ぶつかりといった基準が感覚として、全く身につかないのです。
メリハリがなく、力の入れどころも抜きどころも分からないまま、形だけをこなす稽古になる。
技も体も育たない基準も身につかない稽古をし続けるわけです。
いくら年数を重ねても、稽古の中身が薄ければ、上達にはつながりません。
結局どうなるかというと強くもないし、上手くもない。
初心者レベルで合気道が止まります。
つまり、最終的には「下手で弱い合気道」にしかならない、ということです。
柔らかい稽古を間違って真似ると上達しない
世の中には、柔らかい稽古=優れた稽古だと誤解して、最初からそれだけをやろうとする人がいます。
しかしそれは、稽古の順序が逆です。
基準も力加減も知らないまま柔らかさだけを追うと、「崩せたつもり」「効いてるつもり」になります。
できていないものを「できてる」と錯覚してしまうのです。
そうなると、技が効かない、通用しない。
しかも本人はそのことに気づかないまま、ずっと上達できません。
最悪、実力があると勘違いしてしまいます。
「柔らかさ」は結果であり、入口にしてはいけない?
勘違いされがちなのは、有名な合気道の先生方で往年になると柔らかい稽古を教えることがあります。
こういう先生方は、若いころに散々自らの体を鍛えて固い稽古をやってきた後に、柔らかい稽古で教えています。
ろくに硬い稽古を知らずに、腑抜けた軟弱な稽古を柔らかい稽古と言っている人たちと全く違います。
つまり、柔らかい稽古とは「いかに力まずに、余計な力を使わずに、少ない動きで相手を大きく崩して投げるか」という段階に入ってからの稽古。
合気道の達人たちが柔らかく見えるのは、長年の厳しい稽古を積み、無駄を削ぎ落とした結果。
その蓄積があるからこそ、最小限の動きで大きな崩しが可能になるのです。
決して、「最初から柔らかくやろう」としてできるものではありません。
柔らかい稽古というのは、上達するにつれて、自然と備わる稽古法という意見です。
もしくは実力のある合気道の先生に初めから師事できた運のよい弟子だけに与えられた貴重な稽古法です。
合気道の本質を知るためにも、まずはしっかり固い稽古から
合気道の本質とは、「いかに無駄を省いて、本質だけを残すか」ということではないでしょうか。
私の経験では、ぶつかって、試して、悩んで、失敗して、その中でしか、見えてこないものがありました。
遠回りに見えても、しっかりとした固い稽古を積み重ねた先に、本当の柔らかい稽古が自然と見えてくるのでしょう。
固い稽古の先に、本当の柔らかさがある
やわらかい稽古とは、本当に力を抜いても通じる技が使えるようになった人が到達する段階。
柔らかい稽古は、長年の厳しい稽古の賜物であり、合気道という武術の高みの結晶でもあるのではないでしょうか。
どっちなんだい