合気道の稽古をしていて、最近わかったことがあります。
でも最近の発見なので、また答えが変わったらごめんなさい。
合気道の間合いに「ピントが合う瞬間」がある
剣道や空手などは、間合いに出入りするような武道は間合いについて、もう分かりきっていて、今更という話かもしれません。
もしくは、合気道をされている方でも、そんなものはとっくにしているどころか、知らないのはお前だけと言われたら、もうブログ書けないことになってしまいます。
そこを敢えて、みんな知らないという体でお話させてください。
では、「間合い」にもカメラのレンズでピントが合うような距離があるということです。
ただ間合いというと、一般的には間合いの外側と内側、間合いが遠い近い、攻撃が届く届かないに分けられています。
しかし、その間合いの中間にピントが合うような、絶妙な位置が存在するのです。
まるでカメラのフォーカスが合うかのように、そこに間合いに立った時だけ、違った感覚になります。
間合いが合わないと、技が「かかる・かからない」以前に、動きそのものが噛み合わなくなります。
遠すぎればただの睨み合い。
近すぎれば技が窮屈になり、逆に自分が崩されてしまうことすらあります。
技が決まる間合いと、入り方の違い
この間合いを取るというか、こちらが割って入るというか、ぶつからずにはいるという感じです。
どういうことかと言うと、当たり前ですが、剣や小太刀の距離と体術(素手の技)にそれぞれ適した間合いがあります。
剣術や合気道のように武器を使う場合と、体術(素手の技)の場合では、当然ながら実際の距離も変わります。
剣を持っているときの間合いと、素手で組むときの間合いとでは別物です。
しかし、同じ素手の技でも、投げ技なのか、崩しなのか、入り身なのかによっても、ベストな距離は変わってくると思う方もいるかもしれませんが違います。
間合いを掴んでそのまま入ると、後は間合いは関係なくなるのです。
距離的な間合いの関係から、間合いに入られた者と間合いに入った者という関係に変わるからだと思います。
先手を取るとは、間合いを制すること
このピントが合う間合いを取り一度先手を取ると、その流れのまま先手を取り続け、相手は自動的に後手に回ります。
ただ「離れすぎ」「近づきすぎ」ではなく、カメラのピントが合ったような感覚になる距離があります。
スッと意識と動きが一体化して、相手の抵抗が消えるのです。
此方が感じているお互いの間にある緊張感が消えて、ふわっと浮いたような、不安定なような、でも集中したような不思議な感覚になります。
ただし、ここで大事なのは、「自分が浮いていることに気づいているかどうか」です。
合気道の稽古をしていて感じるのは、相手がその浮きに気づかず、無意識のままでいると、非常に崩れやすくなるということです。
こちらがそのピント距離に入ったことを自覚しながら攻めに入ると、相手の無自覚な不安定さにつけ込むことができます。
実は相手は、もう間合いに入られているという状況です。
何もしていないように見えても、間合いが合った瞬間に、相手が崩れやすい状態(間合いを取られて隙ができた状態なのかもしません)になっているというのは、先手を取れるということ。
先手を取った瞬間に相手は後手に回って、こちらがそのまま先手を取り続けまま技をかけるということができるということ。
こちらはそのまま主導権を握り、間合いもタイミングも支配したまま技をかけることができます。
この先手の継続こそが、合気道における見えない静かな技の本質ともいえるでしょう。
触れる前から、すでに勝負は始まっている
そして大切なのは、この駆け引きは「技に触れる前」から始まっているということです。
一般的な考えでは、「触ってから崩して、技をかけて、有利になる」と思われがちですが、でも合気道に限らず武道では違います。
触れる前から、勝負は始まっている。
間合いに入るまえ、立ち会った瞬間から、意識と気配のやりとりが始まり、その時点で既に「主導権の奪い合い」は進行しているのです。
だからこそ、「間合いを制する者が勝負を制す」と言えるし、ピントが合った瞬間に、こちらが先手を取り、相手はもう後手に回っているのです。
合気道は「後の先」ではなく「先の先」
最終的にピントを合わせに行き、いかに先の先をとって、相手を制するかが合気道という事です。
合気道はごの線という人がいますが、私は今回の事が分かってから、後の先ではなく、先の先という意見です。
合気道を始めたての白帯の頃に、私は合気道は打ってきたり、掴んでくる相手に技をかけるので、後の先だと思うと話したことがありました。
そうすると、当時熱心に教えていただいた高段者の兄弟子が、「俺は合気道は先の先だと思うよ」っと教えて頂いた当時は、はっきりとは分かりませんでしたが、今なら「おっしゃる通りです」と深くうなづけます。