合気道の合気について


合気についてはまだ分からない部分がかあるが、少しずつ見えてきたというか、出来ることが増えてきた。

合気道は書道と似ている部分がある書道には、篆書 隷書 草書 行書 楷書という段階があり、学ぶ順番は楷書 行書 草書という順序が習得されやすいと勧められている。

合気道も似ている、

1 受け身や一教や小手返し、入り身などの技の形を覚える

楷書 右も左もわからずただ教えられたとおりに行おうとしている見よう見まねの合気道初心者の段階

2 技を覚えたら各自がどうしたら技が上手くかかるかを試行錯誤する

行書 合気道中級 小手先の手足の動きや、足の位置、重心などスポーツ的な体の使い方をすれば合気道が上手くなると思い込んで稽古している段階

3 合気というものに気が付けば合気がどのようにしたら出来るのか修練する

草書  稽古や、本や動画などから知識・経験などを深めて、合気の片りんに気が付き、沖縄空手のチンクチ・ガマク、中国拳法でいうところの寸勁、発勁等に気が付き、武道的な体の使い方に目覚める段階

4 合気が出来るようになると合気を極めようとする

隷書  抜きなどの身体の使い方で合気を行っていた段階から、身体の操作をせずとも意識を変えるだけで合気が使える段階

5 精神世界にはいる

篆書 宇宙や愛といった武術ではなく武道の段階

自分はたまたま良い先生に出会って、抜きという体の使い方を知ることが出来た、そしてすべてではないが、体現できるようになった

たとえば20キロも体格さがある人に力負けしなかったり、転がせるようになるなど。

胸や肩など体の部分を意識的に変化させて、相手を無力化させることで相手を崩すことが出来るのだ。

この段階に来るとスポーツ的な体の使い方をしているのが、非効率すぎると理解できて、自然とやらなくなる。

しかし、実は合気道に限らず昔からある武術、空手、中国拳法、柔道、柔術、剣術、武芸十八般において実は体の使い方ありきで、技が成り立っていたのである。

だから昔の技でかかるわけがない技や、現代に通じない技が出てきてしまうのだ、理由は簡単である。

本来体の使い方が出来たうえで使われる技を、身体の使い方が出来ないのにやろうとするとできないのは当然だからだ。

なんば歩きと称されるように昔の人の身体の使い方と今の人の身体の使い方は多少違うはず。

そして合気道を稽古しているもののほとんどが2の段階で止まっている。

何十年稽古しても形だけ、小手先の動きに固執して3の段階に行けずに、合気道を終えていく人たち。

3の段階にいける人は50人に1人もいないだろう、幸い今はYouTubeなどで情報が得やすいので見ることはできても、やらせだ、八百長だと目の前の真実を認めることが出来ない未熟な人には到達できない境地だ。

実際やらせも沢山あるが、本物もいる。

私は4の段階にようやっと足を踏み入れることができたが、いつかはあいきをじゆうじざいにあつかえるようになって、人に教えたいと思う。

いまは仲間と合気や抜きに磨きをかける段階だが、合気を発展させるのがめちゃくちゃ楽しい。